激務から異変を感じうつ病と診断される
突然他の記事とまったくテイストの違う記事になるが、同じような経験をしている人に少しでも参考になれば、と思いこの記事を書こうと思った次第である。
プロフィールにも書いてあるのだが、私は現在はフリーランスとして元気に日々を過ごしているが、個人業主になるまでに社会人として決して短くはないブランクがあった。
数年前それまで勤めていた会社を辞めたのだが、原因はうつ病である。
当時勤めていたのは広告関係の仕事を主に扱っていた会社で、私はそこで営業担当として働いていた。
始業時間は9:00と別に早くはなかったのだが、時期によっては残業残業でようやく仕事を終えたら日付が変わっていた・・・ということも珍しくなかった。
残業代は出ていたし先輩たちも比較的よくしてくれていたが、部署がどうしてもクレームを受けやすい業務内容で、ストレス過多になり毎日朝から晩まで仕事のことだけを考えて生きているような状態だった。
そんな生活が続いたある日、突然・・・でもないのだが急に頭が回らなくなったのである。
それまでは作成するのに5分とかかっていなかった簡単なメールも、書き方はおろか頭の中に次に入力する文字も浮かばない状態で30分以上経ってもメール、書類一つ仕上げられない状態になっていた。
対人コミュニケーションも困難で、話しかけられても言葉が全く出てこない。
当然ながら営業なんてできる状態ではない。
さすがに周囲の同僚も異常に気づいたようで、すぐに病院に行くことを勧められた。というか連れて行かれた。
心療内科を受診し、血液検査と問診を受けた結果下った診断はやはりというべきか「うつ病」、「抑うつ状態」だった。
しかし診断結果を聞いても判断力が鈍っていたためか、「はあ、そうですか」と答えるばかりでその後どうするかといった考えが浮かばない。
ひとまず会社に連絡したのだが、上司は完全に察していたのか自分がやっていた業務はすでに同僚に託されており、こちらのことは気にせず明日から休みなさいと言ってきたのでその日から会社を休むことになった。
かくして療養生活が始まったのである。
先が見えない療養生活
一人暮らしだったため、炊事洗濯など全て自分でやらなければならなかったのだが、いかんせん頭が働かず、動きたくても体が動かないためほとんど何もできなかった。せいぜいできたのは同僚のアドバイスで買い込んでおいたインスタント食品を食べることくらいである。
しばらく食事はそれのみ。目が覚めてもずっとベットから動けず10日に1回くらい心療内科に通う以外は一切外出もしていなかった。
そうした生活が1ヶ月ほど続いたある日、頭が働かないなりにこのままだと生活費とかどうするんだろう・・・という不安がよぎってきた。
と言っても自分で調べることも難しかったので上司に相談すると、健康保険に一定以上の期間加入していれば「傷病手当金」という手当がもらえると聞いた。
自分の場合金額も最低限の暮らしをするには問題ない金額で(休む前の12ヶ月分の標準月額平均÷30日×3分の2)、期間も最長1年6ヶ月の間もらえるとのことだったので主治医に診断書を書いてもらい申請。
これでしばらくは大丈夫だろうと思い、ゆっくり病気を治そうと思えた。うつ病とはそうすぐに治るものではないとも担当医に聞いていた。
ちなみに、傷病手当をもらいながらの療養生活が3ヶ月を過ぎた頃、勤めていた会社は辞めた。長くなりそうだと感じたからである。
傷病手当金も、一定の条件を満たしていれば退職後も支給されるとのことで、私は条件に該当していた。
その後も何も考えず薬を変えながら療養を続けていたが、季節が変わるにつれ少しづつやれることが増えていった。
といっても散歩の距離が少しづつ延びるとか、簡単な料理を作れるようになるとか些細なことなのだが、それでも以前の状況を考えれば症状は徐々に改善していると言っても良かった。
しかしながら、傷病手当金が支給される期間である1年6ヶ月を過ぎてもすぐに社会復帰ができるという状態までは戻らなかったため、さてこの先はどうすれば・・・と思っていた矢先のこと。
とりあえず傷病手当期間中は受け取りを延長していた失業手当の手続きをしようとハローワークに行ったところ、就業が困難な人の場合、「就職困難者」に該当する可能性があると言われた。
その場合、失業手当の支給期間が90日から最大300日に延びるという(年齢などによって変わる)。
認定されるかどうか分からないが、一応主治医に改めて詳細な診断書を書いてもらい提出、ハローワークの職員といくつか質疑応答をした結果、認定を受け失業手当の受給期間が延びることになったのである。
うつ病というのは治療に非常に時間がかかるものなのでこれはありがたかった。
そうして療養が続くことになったのだが、当初よりは状態が良くなってきていたため少しづつ就職活動を始めようと考えた(就職困難者は現在の状態、病状を企業側にオープンにする、秘密(クローズ)にする)を選べる)。といっても状態的にはまだ求人を見ることくらいしかできなかったのだが・・・
当然求人を見ても相変わらず対人コミュニケーションなどは厳しかったので、まともな勤め先があるのかどうかかなり懐疑的な状態。
そこで失業手当受給開始からしばらく経ったある日、ネットの海を調べていたところ、どうもその頃「クラウドソーシング」という在宅ででき、案件によってはコミュニケーション回数も少ない働き方が人気らしいと話題になっており、もしかしたら今の自分に合っているかも・・・と惹かれ、本格的に調べてみることにした。
クラウドソーシングを利用し個人事業を起こす
クラウドソーシングとはかなり大雑把に言えば、仕事を頼みたい側が不特定多数に向けて案件を公開し、ワーカーを募る「外注」である。
「クラウドワークス」や「ランサーズ」といった企業が有名だが、それらのサイトを覗いてみると案件の数は思ったよりもかなり多かった。
さらにライティング(記事を書く)、データ入力などといった案件は未経験の初心者でも多く採用されており(もちろん案件による)、これならできそうだと感じた。
元々文章を書いたり読んだりするのは嫌いではなかったので、とりあえず簡単そうなキュレーションサイト(All AboutやもうないけどNAVERまとめのような情報サイト)の記事を書く案件を受けてみた。
実績も全く無いしどうせ受からないだろうな・・・と思っていたら、なんとあっさり採用の知らせ。
予想していなかっただけに自分に本当にできるだろうか、と急に不安になったがやってみると案外書け、無事案件を一つ終了することができた。
この経験は大きかった。
今の自分の状態では何もできないと思っていたのだが、一つ仕事を完了することができたのだ。
相手先とのやり取りも簡単なチャットアプリでのやり取りと納品報告のみ。業務時間も自分で好きなように決められるためストレスも少なく働くことができた。
その後も似たようなライティングの仕事をこなし、どんどんクラウドソーシングの働き方に慣れていった。
そして当然ながら仕事をするということは報酬が発生する。報酬が発生するということは失業手当を受けられなくなる(減額の場合もある)ということだ。
なので私は本格的に報酬が発生し始めた頃、失業給付を打ち切った。まだ完全な状態ではないものの、この働き方ならやっていけると確信めいたものを感じたからだ。
ちなみにネットなどでクラウドソーシングの評判を見ると「報酬が安すぎる」、「労働力の買い叩き」などといったネガティブなワードが目に入ってくる。
確かに、具体的な金額の言及は避けるが最初にやった案件などは非常に単価が安く、これだけで人間が食っていくことは難しいだろうという金額だった。
今でもサイトを見てみると「文字単価0.☆円」みたいな案件がけっこうある。
しかし実績を積めば文字単価高めの案件も受けられるようになるし、専門的な知識があれば一般の仕事と変らないような報酬を得られる案件もある。
実際、私もライティング案件の単価は上がっていったし、HTMLやCSSといったサイト作成の知識を学んだことによって(HTML 、CSSは誰でも比較的容易に習得できる、と思う)それらの案件を請け負うことができるようになり、生活に不自由ない額の報酬を得られるようになった。
そして失業給付の受給を打ち切ってから約1年後、もはやうつ病の症状は消え去り、対人コミュニケーションも営業をやっていた頃と遜色ない調子でやりとりできるようになっていた。
その数年後、個人事業主として開業し、今ではうつ病前と同じようにバリバリ働いている。しかも個人事業主であるので、ある程度稼働時間を自分で決められたり、PCさえあれば働く場所も選ばないためストレスも全く無い。
自分の場合は時間と働き方の工夫がうつ病を解決
ここまで書いてきたように自分の場合はしっかり療養期間を長く取り、また初心者でも簡単に始められるクラウドソーシングという働き方を見つけたことで少しづつ自信を取り戻したことがうつ病の克服に繋がったのではないかと思う。
本格的な詳細は別の記事に書こうと思うが、長い療養期間が必要になるうつ病には利用できる制度がいくつかあるので、それらを利用しつつじっくり時間をかけて治療することが重要だと今では強く感じている。
もしうつ病になり、これからどうしていいか分からない、克服できる気がしない、お金がないのにどうやって生きていけば・・・という状況にある方がいたら、こういう過程で克服できることもありますよということを伝えたい。
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